概要
森暦は藍の森で用いられている紀年体系であり、この森において唯一広く認められている時間の計り方である。
換算式は至って単純だ。森暦 = 西暦 + 3030。
森暦5050年は西暦2020年。森暦5571年は西暦2026年——タイタンが目覚めた年。
しかしこの一見単純な体系の背後には、誰にも答えられない問いが潜んでいる。
重要な紀年
- 森暦元年 — 現存する最古の記録に記された年。内容はすでにぼやけて判読できない。
- 蒼涙の日 — 森暦5050年以前。正確な年は不詳。
- 森暦5050年 — 楽奈が転送門を越えて人間の世界へ渡った年。
- 森暦5571年 — 聖樹タイタンが目覚めた年。
起源の謎
なぜ森暦は五千年以上前から数え始めるのか。
これは藍の森の歴史における最も古い謎の一つである。現存する最古の文献は森暦元年前後にまで遡ることができるが、その記録は断片的で、判読不能な幾つかの記号と、繰り返し現れる一つの言葉だけが残っている——
「ここからやり直す。」
「やり直す」。この言葉は何を示唆しているのか。森暦元年の前に、忘れ去られたもう一つの歴史があったのか。前の輪廻があったのか。
誰にもわからない。あの記号は今なお解読できた者がいない。
時間の本質
藍の森において、時間は常に直線的に流れるとは限らない。
これは比喩ではない。森のある区域——とりわけタイタンの根系の核心に近い場所では——旅人が奇妙な時間のずれを経験することがある。黄昏に足を踏み入れたはずが、出てきたときには三日前の夜明けだった。ある長老たちは「まだ起きていない記憶」を夢の中で見たと語る。
そこで一部の学者が大胆な仮説を提唱した。森暦が測っているのは時間ではなく、もっと深い何かなのではないか。
記録しているのは「どれだけの時間が過ぎたか」ではなく、「どれだけのことを経験したか」なのだと。
もしこの仮説が正しいなら、五千年を超える森暦は、五千年分の時間の経過ではなく、五千年分の記憶、感情、そして存在に対応しているのかもしれない。
偶然か、それとも設計か
ある事実が、それに気づいた少数の学者たちを不安にさせ続けている。
森暦5050年。楽奈が藍の森を発った年。
5050——あまりにも整然とした、あまりにも左右対称な数字。五千年を超える紀年体系の中で、守護者がこれほど完璧な整数の年に出発したのは、偶然だろうか。
それとも、すべては最初から書かれていたのか。
誰もこの問いに答えようとしない。なぜなら、もし答えが後者であるなら、森暦は記録ではなく——脚本だということになる。
そして私たちは皆、まだその脚本の中にいる。